営業時間 13時〜20時
   定休日 月・金(祝実は営業。詳しくはこちら
   席料 600円
    こども教室など各種教室講座あり。詳しくはこちら
  Twitterも一応やっています。

2010年12月21日

執着を絶つ柔軟性

 やたら石と取りに行って失敗する、というのはよくあることのようだ。その一方で地取りに偏して形勢を損なうことも、同じくらいよくあることのようだ。毎日碁席で人の碁を見ていて、そしてときにはアドバイスなどもしながらいつも思うのは、ほんのちょっと執着を絶つ柔軟性があれば、ということである。

 石を攻めることは悪いことではない。というよりもいいことだ。だが攻めて失敗するのは、「取れそうだから絶対に取ってしまわないと気が済まない」というような固執が原因なのだ。もちろんただ逃がしては大いに甘い。しかし、無理して取らなくてもよいのである。気分良く攻めているうちに、いつしか無理して取りに行っているということは非常に多い。前半と後半の質的変化に気がつけるかどうか。

 同じような例として、大きな地が完成するからと弱石を手抜きして悲劇を招くこともまた多い。ここに打てば30目の地が完成するから、こちらの石は弱そうだけどちょっとぐらい大丈夫だろう。そんな感じで不急の囲いに手を費やして、急場を逃す。そこにあるのもここは守り切りたいなどというつまらぬ固執の心理である。

 碁は、最終的に地の合計が多ければよいので、どこに地を作らねばならぬ、この石と取らねばならぬという決まりはない。しかしなまじいい形の地模様ができると、それが可愛くなって状況の変化にもかかわらず固執してしまう。取れそうだと思うと手が止まらない。そういう心理は碁打ちなら実感を持って共感できるはずだ。そういうものから自由になって、ものごと柔軟に対応できるようになるとぐっと碁が上がるはずなのだが、そのほんのちょっとのことが非常に難しいことなのである。
posted by das53jp at 21:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 上達法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月20日

秀策全集を薦める理由

 山下功さんのブログで秀策全集についての記事があったのに関連して。

 棋譜並べは碁の勉強の基本で、沢山したほうがよいにきまっているが、同じ棋士の棋譜を並べることは特に有効な方法のひとつである。1人の棋士の碁を重ねて並べていくことで、その人の考え方の核心部分がおぼろげにでも感じ取れるものだ。そうして得たものは自分の碁のバックボーンになりうる。

 一般の囲碁ファンなら興味のある棋士の個人打碁集を並べてみるのがよいだろうが、もっと踏み込んで勉強したいというのであれば全集がお薦めである。勝ち碁も負け碁もすべて並べるのだから一人の棋士の生涯を旅することになる。たくさん並べなければいけないので大変なようだが、案外楽しい作業である。

 個人的には秀策の全集が聖典である。旧版も含めて何回も並べている。いくら並べても秀策のような碁は打てないが、それでも上達にはかなり役に立ったと思っている。全集と言えば秀策全集が一押しになってしまうが、実は全集を並べた棋士というのは数限られるので、一番に推す根拠が薄弱ではある。秀策の他には道策、秀栄、呉清源ぐらいしか並べたことがない。それでも一応秀策全集の優れた点を2つ挙げてみよう。


1)早熟で夭逝した天才棋士であること

 これは全集巻頭から巻末まで質の高い棋譜であるという意味である。夭逝は惜しまれるが、衰えを見せずに世を去れたという意味もある。瀬越師が、呉清源が年齢を重ねて駄作を残すのを心配し、早めに引退したほうがいいと言ったという話もある。全集には修業時代の拙作や、衰えの隠せない晩年の譜も入るもの。それも全集を並べる味わいの一つでもあるが、やはり拙作は少ないほうがいい。
 秀策全集は9歳で入段目前の時点での棋譜で、かなり強い。といっても秀和に3子の手合いではあるのだが、ただ感心するのは9歳当時のから「秀策らしさ」があること。大局に明るく平明に局勢を支配してゆく「秀策らしさ」は、巻頭の1局目から発揮されている。どうもこれは天性の素質だったようだ。

 晩成型の秀栄だと初期の晩年(全盛期)ではずいぶん印象が違う。道策は修業時代の棋譜が不明でよくわからない。全局とも怪物的に強い。呉清源も早熟の天才だがずいぶん棋風を改造した人である。少年時代の堅実な打ち回しから、全盛期の狂気をはらんだような超人的打法を想像するのは難しい。


2)対戦棋士が豪華

 秀策が活躍した幕末は江戸碁の黄金期とよべる時代だった。丈和は晩年であったが、幻庵は健在であり、本因坊秀和、天保四傑(雄三、俊哲、松和、仙得)、弟弟子秀甫など名人名手がごろごろしており華やかである。

 道策、秀栄はライバルに恵まれたとは言い難い。秀栄の全盛期の棋譜の大半はまるで演武のような見事さがあるが、一面勝負碁としての魅力に欠ける。呉清源の対戦相手も豊富で華やかである。


 以上2点がお薦めする理由である。こう考えると呉清源全集が最大のライバルのようだ。実際に呉清源全集の世評も高く、趙治勲や小林光一が絶賛している。全集がボロボロになるまで並べてしまい、買いなおしたという逸話があるくらいで、トッププロの修行と凄まじいものである。

【参考】
完本本因坊秀策全集/福井正明


posted by das53jp at 15:22| Comment(2) | TrackBack(0) | 上達法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月09日

勝つための一手

 先日ある生徒に注意したことなのですが、囲碁は「勝つための一手」を打ち続けることが大事だと思います。自分なりに最善を尽くすということですね。こう書くと簡単。


 厄介なのが、囲碁というものは人間の頭脳で読み切れるようなものではないということです。ましてや我々はアマチュアですし、わかることなんてたかが知れています。実際わからないことのほうが多いわけです。
 結局、(わからないなりに)できるだけ考え、判断し、決断するということが求められるわけです。囲碁を読み切って打とうなどというのは、割り切れない割り算を割り切ろうというような矛盾があります。

 ここに心理的要素が入り込む余地があります。

 気持ちが張ってるときであれば、自分に甘い読みはせず、客観的にものを見て判断し、自分の実力の範囲での最善の読みができます。自分の能力限界まで考えるためには気持ちの充実が大切です。

 しかし、形勢を損ねたり、ミスをしたるすると気がくじけます。そして気がくじけると、そういかなくなるのが常です。よく考えもせずに囲碁の「よくわからない部分」に投機的な期待を寄せたくなるものです。

―何とか手にならないかな
―何となく頑張りきれるだろう
はたまた
―相手が間違えないかな

などといった感じの打ち方になるのです。よく考えもせずに、良い結果を求めるような状態になったら、まずうまくいきません。

 第一そんな状態を碁を打っているといえるのでしょうか?何も考えず石をばらまいているだけなのですから。着手は自分の意志であり、棋譜は自分自身なのだとしたら、そんないい加減な考えで着手をするくらいなら、投了した方がいいでしょう。

 形勢が悪いときは無理も仕方がないものですが、本当に破れかぶれか、自分の最善の努力をした上での無理かで、結果はずいぶん違ってきます。どんなに苦しくても、冷静に努力することが大切だと思います。
 
 かくいう私も、なかなかこれは守れません。真剣に打った碁は帰宅後棋譜を記録するのがきまりなのですが、記録しながら嫌になることは再三です。打ち続けるのなら、もうちょっとよく考えろよ自分。悲しいことにそういうことはしばしばあります。自分の気持ちをコントロールするというのは非常に難しいものです。

 そういう経験を通して、一応ルールをつくり、形勢が苦しいときには「今打つ一手が本当に自分が勝つために考え抜いた手なのか?」ということを自問自答することにしています。その手は勝つための一手なのかどうか?そう問いかけて最後まで自分の最善を尽くそうとしています。

 この方法の欠点は、メンタルが完全に崩壊すると、そういった自問自答自体をする余裕がなくなるので意味がないということです(涙)よって対局中は、メンタルのこまめな補修が必要です。自分を励ましながら、自分がやる気をなくさないように気を配りましょう。

 勝利に向けた現実的な努力―「勝つための一手」を打ち続けるのはかなりタフな作業です。注意した生徒は今週末大きな大会があるのですが、最後までタフに戦いぬいてくれるでしょうか?
posted by das53jp at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 上達法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月04日

考えるということ

 囲碁は頭を使うゲームなので、考えることは重要なのですが、やたら考えていればいい碁が打てるとは限らないもの。早打ちでも強い人はいるし、長考派でも弱い人もいます。

 囲碁を教えていてセンスのあるなしを感じるポイントのひとつに、「要所で手が止まるかどうか」ということがあります。強い人、強くなる人は、ここというポイントで石を離して考慮するものです。

 手を止めるべきポイントというのは、

・勝敗を分けるような重要な場面(大きな得失がある場面)
・読み切れば勝ちが見える場面(勝負の焦点が絞れている)

といったようなところになります。所謂考えどころということですね。考えるべきことが明確にあるし、一生懸命考えればそれだけ成果があるはずの場面です。考えがいのあるといえるでしょうか。だから考えるべきなのです。

 囲碁は非常に広いゲームなので、絶対に結論の出ない局面というのもたくさんあります。こう打っても1局、ああ打っても1局という感じで考えてもきりがない場面ばかりといっても過言ではありません。そういう場面で趣向を凝らしたり苦心したりするのも一興ですが、くだらないといえばくだらない。手が広い場面ならば、思想の一貫性さえたもてば、ある程度どんな手でもいいのです。(やや大雑把ではありますが)
 
 手が広いところでは好きな手を打って、勝負どころで考えるというふうにメリハリをつければ、案外短い考慮時間でも1局を打ちきれるものです。大事なのは考えどころなのかどうなのか状況判断する力だといえるでしょう。


 やや脱線しますが、大学時代にある先輩と「頭がいいとはなにか」みたいな話をしたことがあります。最近は脳科学ブームなので、そういうことも解明されているのかもしれませんが、当時その先輩が主張していたのは「人間は脳ミソのすべてをつかっているわけではない、というよりも数パーセントしか使っていない。だから脳の機能的な個人差で頭のいい悪いが決まるとは思えない。大事なのはパソコンでいえばOSの機能で、脳の能力を管理する能力で発揮できるパフォーマンスが決まるのではないか」というようなことでした。この意見は非常になるほどと思ったものです。
 今日取り上げたことと絡めて考えても、かなり納得がいくのではないでしょうか。高段者がときどき考慮するだけですらすら打ち進めてうまくいくのに対して、低段者が一生懸命苦心惨憺してもうまくいかない。そんな現象も説明がつきそうな気がします。

 手を読むという作業に夢中になりすぎずに、まずは状況を確認して「読むべきかどうか」「なにを読むべきか」ということを整理して「考えることをコントロールする」ことが重要なのではないかと思います。


 
 
posted by das53jp at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 上達法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月18日

囲碁用語



 囲碁用碁は案外難しい。正しく使える人は強い人です。直接すぐに上達に結び付くものではないが、用語をしっかり知るのは大切なことです。
 
 
posted by das53jp at 20:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 上達法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月19日

棋譜

 昨日、もんちゃさんが囲碁漫画が載っている少女漫画雑誌を持ってきてくれました。さすがにこれは恥ずかしくて買ったり立ち読みしたりできん、という感じの雑誌でした。この漫画で感心したのはストーリーの中心に棋譜というものがあって、その棋譜を通していろいろな思いなり思い出なりが語られるという点でした。囲碁をよく知っていないとこういう設定はできないと思うので作者がちゃんと囲碁を理解していることに感心するとともに、知らない人には何のことやらわからないのではとも思いました。

 ちょっと前の週刊碁だと思うのですが、質問コーナーので棋譜並べや詰碁の勉強の仕方についての質問があり、(おそらく奥田あや二段だったと思う)「私は棋譜並べが好きで、1局の碁を2時間を目安に5回くらい並べる」と回答していました。これはなかなか興味深い回答ですね。

 ひとことで棋譜並べといってもやり方はいろいろで、みな個人で工夫があるところだと思うし、興味があります。

 最後まで並べるか、途中でやめるか
 解説を読みながら並べるか、棋譜だけ並べるか
 早く並べるのか、じっくり考えながら並べるのか
 特定の棋士の棋譜を並べるのか、無作為に並べるのか

 ひとそれぞれだとは思いますが。

 トップアマの友人は、まったく解説の付いていない中国囲碁年鑑を並べるのが非常に勉強になると言っていました。ようは解説に頼らないで自分で勝因敗因を研究するということですね。これはかなりストイックですし、要求される棋力がかなり高そうですが。

 聶衛平九段は漫然と棋譜並べをしても意味がないと指摘し、特定の棋士の棋譜を集中的に勉強することを薦めています。また並べずに棋譜を目で追って頭の中で再現する観譜を薦めていますが、これもかなり高度な訓練という気がします。(詳しくは『私の囲碁の道』で)

 私は何種類かの方法で棋譜並べ。
 囲碁年鑑の類はとりあえずどんどん並べます。ただ最近はトシなのか限界も。以前はどんどん並べるだけでも棋譜が頭に残ったのですが、最近は30分もたつとキャッシュから消えます。最近は手の運動をしているだけの様な気がします。しかも量も減っているので質・量ともに低下して良い練習をしていないような。
 学生時代によくやっていた練習として、3回並べというのがあります。まずは解説のついた棋譜を用意(『名局細解』なんかが最適)します。まず解説なしの総譜を並べ、自分なりに検討を加えます。ここは時間をかければかけるほどよくて、繰り返し並べて自分なりにその棋譜を理解することを努力します。次に解説を読みながら並べます。当たり前ですが目のつけどころから判断、読みの内容まで、自分のものとは愕然とするほど違いがあります。それを確認します。最後に仕上げに総譜をもう一度並べ、自分が最初感じたことや解説で学んだことを整理してまとめとします。非常に勉強になりますが、疲れます。時間もかかります。

 読者でこれはという方法をご存知の方はぜひ教えてください。

 機会があれば詰碁の取り組み方なんかも考えてみたいですね。

blogram投票ボタン 
 
posted by das53jp at 12:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 上達法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月15日

羽根直樹『戦わずして勝つ方法』



 先日空き時間に本屋で少し立ち読みしました。ちゃんとした書評ではなく雑感ですので、方円書庫ではなくこちらに。

 要するに大きいところが分かっていれば、普通に打っていて(囲いあい)で十分いけるはずだし、無理に戦う必要が少なくなるというということですね。これは同感です。

 日頃指導碁とかを打っていて、局後に勝敗を分けた手どころ(死活)について質問を受けることは多いのですが、多くの人がなぜ自分がそのような苦しい戦いをせざるを得なかったのかということには疑問を持たないのです。これは盲点なのかもしれませんが、置石を置いていてリスクたっぷりな戦いをしている時点で何かがおかしかったのです。
 囲碁は中終盤が重要ですので、布石に凝りすぎるのも考え物ですが、やはり序盤はうまくいけば流れがよくなります。相手に勝ろうというよりも、後れを取らないように打つのが肝心だし、そのための知識はあった方がよいでしょう。 
posted by das53jp at 11:17| Comment(0) | 上達法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。