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2009年03月19日

日本の

 『李昌鎬ファイル』
 朴治文氏は「日本のプロ社会は非常に個人的である」と指摘している。これは鋭い指摘だ。


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 中韓と大差をつけられてしまった日本だが、よくある批判に中韓のような徹底した集団研究が行われていないという指摘がある。
 個人的には、中韓との差の原因のほとんどは囲碁の普及度の違いにあると考えている。単純だが囲碁に取り組むこどもの数が違いすぎる(文字通り桁が違う)のであって、他のことは末節である。だから集団研究をしたからといって差を埋められるとは限らないし、「集団研究」という言葉が独り歩きして、何かみんなで研究会を行えば中間との差が詰まるという幻想に取り付かれている向きもある。「集団研究」とは何なのかをよく考えてみることも必要だろう。


 日本にも研究会というものは沢山あり、集団で勉強するということが皆無ではなく、むしろ一般的なことだ。しかしそれでも中韓と違いが生じるところに日本の囲碁界の特質というものがあるのだ。

 集団研究の差がもっとも出る分野は布石で、中韓では猛烈な勢いで布石がシステム化している。ただそれは単に集団で研究しているからというだけの違いで起こるのではない。日本の研究会でも最新布石や流行布石が俎上に上がることはあるはずで、様々な研究はされているはずだ。
 中韓が日本と決定的に違う点は、主題(研究されシステム化された布石手順)が実戦に頻繁に登場しうるということにある。韓国囲碁年鑑などを並べればわかることだが、あきれるほど同じよう布石が登場する。これはそれでよしとする対局者の同意があってはじめて成り立つことである。研究成果が頻繁に実戦で使用でき、またそれが研究対象になるという連鎖が起こっている。
 それに対して日本ではどうか。日本では同じ布石を執拗に繰り返すことは好まれない。山下敬吾には山下敬吾の、張栩には張栩の「好みの布石」というものはあるが、あくまでも個人的な流儀である。張栩がタイトル戦で披露した布石が、翌週には棋院で何局も出現しているということはほとんどない。あるとしても「中国流」とかといった大雑把な分類で同じという程度で、韓国のように「30手まで全く同じ手順」が量産されることはないのである。
 10局の碁が打たれたとして、日本では10局別々の碁になり、そこから得られる成果もそれぞれ個別的なものだ。中韓では、その10局に共通のテーマ(システム化された手順)があり、そのテーマに関しては一気に10局分の成果があがることになる。それが研究速度の違いになる。

 集団研究とは、棋士間に問題を共通化し、実戦でもそれを共有する同意がなければ成り立たない。日本の棋士には伝統的に「碁を創る」というような芸術家気質、職人気質のこだわりがある。日本でシステム布石の研究が進まないのは、研究会が行われていないことに原因があるのではなく、棋士個人の個性を大事にする風土が、集約的な研究と相容れないものがあるからだといえる。

 では日本の棋士も意識を変えればよいということになるが、そう単純に割り切れない問題もある。それはまた次の機会に。
  
posted by das53jp at 09:20| Comment(1) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
将棋なら日本の方が強いので、それでバランスは取れてるんじゃないかと僕は考えています。
Posted by ワサビ at 2009年03月19日 23:10
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