山下功さんのブログで秀策全集についての記事があったのに関連して。
棋譜並べは碁の勉強の基本で、沢山したほうがよいにきまっているが、同じ棋士の棋譜を並べることは特に有効な方法のひとつである。1人の棋士の碁を重ねて並べていくことで、その人の考え方の核心部分がおぼろげにでも感じ取れるものだ。そうして得たものは自分の碁のバックボーンになりうる。
一般の囲碁ファンなら興味のある棋士の個人打碁集を並べてみるのがよいだろうが、もっと踏み込んで勉強したいというのであれば全集がお薦めである。勝ち碁も負け碁もすべて並べるのだから一人の棋士の生涯を旅することになる。たくさん並べなければいけないので大変なようだが、案外楽しい作業である。
個人的には秀策の全集が聖典である。旧版も含めて何回も並べている。いくら並べても秀策のような碁は打てないが、それでも上達にはかなり役に立ったと思っている。全集と言えば秀策全集が一押しになってしまうが、実は全集を並べた棋士というのは数限られるので、一番に推す根拠が薄弱ではある。秀策の他には道策、秀栄、呉清源ぐらいしか並べたことがない。それでも一応秀策全集の優れた点を2つ挙げてみよう。
1)早熟で夭逝した天才棋士であること
これは全集巻頭から巻末まで質の高い棋譜であるという意味である。夭逝は惜しまれるが、衰えを見せずに世を去れたという意味もある。瀬越師が、呉清源が年齢を重ねて駄作を残すのを心配し、早めに引退したほうがいいと言ったという話もある。全集には修業時代の拙作や、衰えの隠せない晩年の譜も入るもの。それも全集を並べる味わいの一つでもあるが、やはり拙作は少ないほうがいい。
秀策全集は9歳で入段目前の時点での棋譜で、かなり強い。といっても秀和に3子の手合いではあるのだが、ただ感心するのは9歳当時のから「秀策らしさ」があること。大局に明るく平明に局勢を支配してゆく「秀策らしさ」は、巻頭の1局目から発揮されている。どうもこれは天性の素質だったようだ。
晩成型の秀栄だと初期の晩年(全盛期)ではずいぶん印象が違う。道策は修業時代の棋譜が不明でよくわからない。全局とも怪物的に強い。呉清源も早熟の天才だがずいぶん棋風を改造した人である。少年時代の堅実な打ち回しから、全盛期の狂気をはらんだような超人的打法を想像するのは難しい。
2)対戦棋士が豪華
秀策が活躍した幕末は江戸碁の黄金期とよべる時代だった。丈和は晩年であったが、幻庵は健在であり、本因坊秀和、天保四傑(雄三、俊哲、松和、仙得)、弟弟子秀甫など名人名手がごろごろしており華やかである。
道策、秀栄はライバルに恵まれたとは言い難い。秀栄の全盛期の棋譜の大半はまるで演武のような見事さがあるが、一面勝負碁としての魅力に欠ける。呉清源の対戦相手も豊富で華やかである。
以上2点がお薦めする理由である。こう考えると呉清源全集が最大のライバルのようだ。実際に呉清源全集の世評も高く、趙治勲や小林光一が絶賛している。全集がボロボロになるまで並べてしまい、買いなおしたという逸話があるくらいで、トッププロの修行と凄まじいものである。
【参考】
完本本因坊秀策全集/福井正明
posted by das53jp at 15:22|
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